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地震と地盤と耐震の話

耐震にこだわる会社になった理由

会社社案内|地震・地盤・耐震の話

1982年 バブル景気

わたしの20代30代のころは、バブル景気とスクラップ&ビルドの時代でした。
建物とは新築でデザインが優れていることが価値・意味があるという風潮がありました。そんな中に私はどっぷりと過ごし日々の建築設計業務に追われていました。

1995年 阪神淡路大震災発生

そんな中で1995年に阪神淡路大震災が起こり、我々の建築に対する価値観もガタガタと揺さぶられました。ただ、関東の千葉に暮らし生計を立てていた私には、なにか「ひとごと」という気持ちが、今考えれば心のどこかにあったのかもしれません。

2004年 中越地震発生 現地にて改めて大地震の恐ろしさを実感

そこへちょうど40才になった2004年、中越地震が起こります。この業界では関東甲信越というブロック区域での大災害が起こった場合、建築士として現地調査のボランティア公募がきます。私は被災にあった方々に一級建築士としてお役に立ちたい気持ちと、一度この目でホンモノの大地震というものを見てみたいという感情が複雑に交錯いたしました。やもたってもたまらず、仲間の建築士数人と新潟の地へ行きます。とにかくテレビ・パソコンの画面ではまったく伝わらない圧倒的な惨状が目の前にありました。こんな写真のようなことがおこるのです。

デザインこそが建築の目的のような私の頭の中がひっくり返されたような衝撃でした。なぜ、これほどの一見頑強そうに見える(実は構造的にはそうではない)建物がもろくもこのようなみじめな形になってしまったのか?こういう教育を私は建築業界からほとんど学んだ経験がありませんでした。それは日本にいるすべての建築士も同じであったと思います。(阪神淡路大震災以来)

2005年 姉歯事件発生 建築の設計と基準が より厳格化

そしてさらに翌年あの姉歯事件が起こり、我々の業界の信用性を完全に失墜させてしまいました。これはあくまで氷山の一角、これ以降日本の建築設計の基準と業界のモラルが正されていきます。

2006年 中越沖地震 新潟2度目の地震 地盤の重要性が浮彫

その2年後の中越沖地震。わたしは43才になっていました。同じ県でたった数年で2度も大震災に見舞われるなど想像もつかない出来事でした。仕事もそっちのけでまたも柏崎へ向かいました。
ここで初めて液状化というものを見ました。地盤というものの恐さをまざまざと知りました。それまで建物さえしっかりしてれば、ある程度地盤なぞたいしたことないと、やはりどこかでおごっていたものが、業界全体にありました。もちろん私自身も・・。
近くの体育館で避難されていた方々の苦悩。二度と自分の家に戻れず途方に暮れる住民のやりきれない気持ち。そういう重たいものを体全体で感じてわたしは千葉に戻ってきました。それからというもの普段目にする町の風景がわたしには、一時的で脆弱なものに映るようになってしまいました。専門家として、たとえのどかな日曜日の昼下がりの街の建物がそうは見えない目になりました。

2008年 世間が地盤に注目実際の耐震地盤調査が増

この頃からどこからともなくクチコミや紹介で千葉県内の建物の耐震や建物の相談をいただくようになりました。その頃、ほんの1年半前まで3.11(東日本大震災)を知らない千葉の人たちは、いまだどこかのんびりとのどかな雰囲気をもった感じでした。
それでも業者のいい加減な造成工事や設計、工事によって人知れず被害に合っている人たちがなんとこの千葉県には多いことかと調査のたびに思うのでした。写真は当時2010年1月頃 チャンネルさくら「我が家の耐震診断」・ 2010年9月頃 チャンネルさくら「我が家の耐震補強工事」出演したものです。

2011年 東日本大震災発生

わたしは3.11以前から多くの県内の建物の耐震調査・補強設計をおこなってきました。その中で感じるのは、経済効率優先と美観重視の日本の建物へのかかわり方でした。これはとても危険なことであると常に思いながら、診断を行なっていました。そんな中ついに東日本大震災が起きたのです。

わたしは都内の高層ビルの中で建物の振動による分析の講義を名古屋大学院教授、福和先生から受けていました。まさに実践で学んでしまったのです。高層ビルの独特の揺れを体験。その後は帰宅難民として8時間以上かけて徒歩で千葉県佐倉市の家族のもとへ帰りました。なんと都市機能はもろいものなのか!あらためてこの国の特殊な自然環境と防災に対する取り組みを考えざるを得ません

千葉に戻ったわたしには、県内全域での被害調査が待っていました。とうとうこの千葉県が被災地になってしまったのです。自分の住んでいる佐倉市から車を走らせました。見慣れた街並みがどことなく変な感じでした。ただそれが同じ佐倉市内でも大きな開きがあるということでした。またしても地盤の差が被害の大きさに左右してしまったのです。それは同じ丁目でさえ一方はなんでもないのに一方の基礎は破壊され壁に亀裂が走り傾いているのです。これは、地盤と構造の両方だ!と確信せざるをえませんでした。

もはや人災と言っていいでしょう。
「地震と地盤の関係」は木造住宅も鉄骨も鉄筋コンクリートも学校もビルもマンションも家も関係なしです。千葉も津波にやられました。旭市飯岡。巨大液状化は、佐原、浦安など至る所に起こりました。もちろんここ佐倉市でも。県内全域を回り、調査診断、市民相談を3.11以降何ヶ月も行いました。以下が主な被害地区です。写真に触れると被害地域の名前が出ます。
液状化現象/浦安市/佐倉市/千葉市
津波被害/旭市/いすみ市/一宮町/九十九里町/山武市

2015年 社長実家宅を耐震シェルターモデルハウスに

2013年大地震から高齢者世帯を守るために開発された品川シェルターを知る。考案された日大理工学部の構造研究室を訪ね、耐震シェルターの構造を学ぶ。それをもとに、私の実家を耐震シェルターのモデルハウスにいたしました。

災害マップであなたの土地をチェックしてください

県や各自治体で、被災マップが公開されています。今後のため、自分のお住まいの地域を確認しましょう。少し例を挙げておきます。掲載のない方も、是非市町村のホームページからご自身のお住まいの被災マップを確認されることをおすすめします。情報は無料で手に入ります。見ておいて損はありません。

千葉県の情報
佐倉市ハザードマップ
八千代市ハザードマップ

ハウスメーカーは、このことを薄々知っていても地盤は想定外と逃げていました。有名なSハウス、Mホームなど相談いただいたメーカーは数知れず。彼らも甘く見ていたのは事実。ただその後の対応はひたすら逃げ腰でした。やれ当時の担当者は今はいないとか図面がないとか地盤は免責とかさまざま。これでは住んでいる人はたまったものではありません。

多くを見てきてやはり多いのは、地盤被害です。地盤が悪ければ、建物だけを直しても本末転倒です。地盤解決後、建物の構造を考えるべきでしょう。

小杉建築設計事務所の耐震に関する考えまとめ

わたしがこの10年近くやってきた答えが最初から同じでした。この目にはいまだこの国にいてその建物で囲まれた街の風景に安心できる気持ちにはなれません。「自分の家だけは生きている間は大丈夫?・・」そういう希望的観測を持たれている人々がなんと多いことか。いまだに思わざるを得ません。
けれど、土地と住人は密接な関係があるのも事実です。愛着や、継続、それらをむげにはできないのが現状でしょう。ならばできうる範囲で対策をしておく。これに尽きると思います。その被害には必ず原因があり、その結果がある。それを見つけ分析し、どうすれば良いかを考えるのがわたしの仕事だと思っています。

人間はいまだ完全な地震予知はできません。恥ずかしい話ですが、建築業界が地盤に目を向けるようになったのは、ごく最近!それと建物と構造との関係をよく考えるようにようやくなってきました。時として天災<人災。こういうことを極力軽減していくことが、すべての建築士のミッションと言っていいでしょう。建築士として、最も、重要視する観点は、現代においては安全です。安全は、すべてに優先します。

このサイトで、地盤のこと耐震のことについて少しでも理解していただけましたら幸いです。まずは、耐震の基礎的な知識をこちらでごらんいただくと良いでしょう。当事務所の方針は、地盤・建物の耐震調査前提というスタンスをとっています。
これに加えて長年、人が住んできた家は、劣化調査・定期調査・雨漏り調査・白アリ調査をすべきと思っています。「家の健康診断(お家の健康チェック)」は、皆様の家を見つめなおす良い機会になります。是非、ご利用ください。